これまでとこれから

2019/1/1 編集済

 

今までの自分をここにまとめておこうと思います。別に死ぬわけじゃないです。ただ2019年に持ち越したくないだけ。

 

僕の人生から得られる教訓は、「褒めすぎは良くない」だ。それは「価値基準を奪うこと」に他ならないから。 

 

あんまり長くなるとあれなので、エピソード少なめです。まとめてみると分かるけど一番大事なのは小学校の時だと思う。

 

「優等生」

小学校時代、僕はすごくすごく「優等生」だった。

 

そもそも「内気」な僕は人と話せなくて、特にクラスでは教室の隅の棚と柱の隙間に入って本を読んでいた気がする。そんな隠キャだったこともあってか、クラスではいつの間にか守られるキャラクターになっていた。僕にいたずらをするなら、だれかが「やめたり!」と守ってくれるようなそんな環境だった。でも、守ってもらえるのは嬉しい反面、自分が「情けなくて」よく泣いていたのを覚えている。

 

そんな情けなさいっぱいの僕が悩むことなく小学校にいられたのは、間違いなくみんなが「褒めて」くれていたからだ。

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でも今思うとこれには3つ問題があって

1つ目は「結果ばかり」を褒められていたところ

このおかげで、すごく失敗が怖くなってしまって動けなくなった気がする。挑戦しない完璧主義といえばいいのかな。要は変な「プライド」がついた。

2つ目は「価値基準が外にある」ところ

簡単に言うと「人の目」を異常に気にしてた。自分を周りの褒められた言葉に合わせるようにするようになった。というか、そのイメージに逆らえなかった。例えば、クラスの女子に「かわいい」と言ってもらったら、嬉しい半面、変に喋ると嫌われるんじゃないかと思って、余計話せなかった。頭いいと褒められたら、頭いいキャラになるために嫌々でも勉強するしかなかった。雁字搦めだ。

3つ目はとにかく「褒められまくった」ところ

痛い話だけど、頭いいとか天才とかよく人から言われた。だから自分は「特別だ」と思うようになった。

 

こうして「優等生」が育った。

 

たった三つだけど、こいつらが後々ずっと僕を悩ませることになる。

 

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中学は異質すぎて本筋と関係なさそうだけど一応書いておく。

小学校との大きな違いは「いじられキャラ」になったことだ。中学校が荒れていたから度が過ぎていじめに近いのも多かったし、喧嘩も多かった。ストレスで性格がひん曲がっていった。人を恨んだのも中学くらいだ。一番仲の良かった友達の「勉強しないやつは全員クズ」思想に染まって本気でそう思ってた。高校受験は運よく受かって、さらに「自分は特別」が強くなってしまう。

中学のひん曲がった分は平和な高校に入ってすっかり消えた。

 

 

「無個性」

高校生になった。高校で一番大きいのは人間関係が一旦「リセット」されることだ。僕に貼られてたイメージの縛りが全部なくなる。これはいいことだ。

しかし、それと同時に新たな悩みが生まれる。隣のやつと何を話せばいいのかわからない、それどころか自分がどういう奴なのかもわからない。今まで周りに合わせていた分、自分の色がわからなかった。

「無個性。」これが新たな悩みだった。

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そうこうしているうちに、結局「かわいい」「真面目」「おとなしい」みたいなラベルがどんどんつけられて、高1のクラスは首を縦にふるか横にふるかぐらいのコミュニケーションだった気がする。周りの色に染まっても「無個性」という感じは消えなかった。

それでも部活でテニスしてる間だけは自然体で入られたので、そのためだけに学校の授業全部寝て部活してる生活だった。勉強はできると言う驕りがあったから。

高2は僕の青春だと思う。クラスにテニス部が多かったのもあって打ち解けられて毎日が楽しかった。こう言う時期が僕にもあったのは本当によかったと思う。でも高3でまた地獄に落ちる。仲の良かったクラスから飛ばされたのだ。高1に逆戻りだし、受験のストレスもあって、メンタルがイってしまっていたので当時の彼女にはめっちゃ迷惑をかけた気がする。

 

一度蜜を味わった分だけ、叩きのめされた。僕は沈んでいる時は「死にたい」じゃなくて「いつ死んでもいいな」って考えるんだってこれで気がついた。

 

「自分を変えたい」

結果から言うと大学時代もだいたい同じ。周りのイメージに逆らえず染まるけど、自分の色のなさに悩み、個性と自由を求める。プライドは捨てられず、相変わらず自分は特別と言う感じを持つ。完璧主義。自己嫌悪と劣等感と虚無感と寂しさの繰り返し。

1回生の4月。「自分を変えたい」「自分をもっと表現したい」という気持ちが強かったから、新しくダンスを始めた。そこには面白い人たちがいて、僕はすごく好きだった。

3回生になったときに部長にまでしてもらった。人を頼ることも頼られるのもほとんど初めてで下手くそながら、頑張ってた気がする。何より自分の居場所がある気がして嬉しかった。でも月を経るごとに僕には重くなっていった。部長って肩書きと僕の中でのキャプテンのイメージと、みんなからの目と色々混ざって、息苦しくて息苦しくてたまらなくて結局やめてしまった。

 「氷が溶け山肌が見える(南極大陸)氷が溶け山肌が見える(南極大陸)」のフリー写真素材を拡大

「自由」

大学ラスト1年。自分を知りたかった。だからやりたかった研究と院試片手間に、とにかくいろんな人に会いにいった。最初は自己紹介できなかったのをよく覚えてる。「何がしたいの」と言われても形だけのことしか言えなかった。その中で多種多様な価値観と触れ合って、無条件に認められて。いろんなことに気が付いて考えて、過去を辿って、ようやく「自分の個性」を自分で認めて、今ここにまとめてる最中だ。

 

まとめると

気づいてしまえば、ただ褒められたかったところから始まって、まあいろいろ拗らせてきたんだなあ笑と自分で思います。

 

ずいぶんと時間がかかってしまった。

でも、ずっと悩んできた時間は無駄だったのかというとそういうわけではなくて、少しずつでも「果て」に近づいてきているという感覚はあります。

 

抱負

約22年を振り返って、僕が昔から好きだったと気づいた単語がありました。

単純ですが、それは「自由」です。

 

だから、これからの目標(心がけ)は「自由でいること。」です。

自由は定義は大まかに

1.自分の好き嫌いや、したいことを知っていて、行動してる

2.自分の内と外の境界がある。

だと思ってます。

 

やりたいことをもっとはっきりさせて、好きなものには好き、嫌いなものには嫌いと言って、かっこよくも頭良くも可愛くも真面目でもなくていい自然体の自分でいようと思います。

 

こんな駄文を最後まで読んでくれた方ありがとうございました。何かしらコメントくれると、嬉しかったりします。

 

さらに最後の最後に、話聞きまくってくれたキムに感謝!